世界周遊旅行中での航空券をめぐる思い出

自転車海外・日本周遊旅行記cyclist world-roamer’s memoirs

世界周遊旅行中でのと航空券をめぐる思い出

世界中を旅行するのに欠かせないのが航空券です。私が海外旅行を始めた1980年代は航空券が高くて旅費の大部分を占めていました。航空権をめぐる思い出はいろいろあります。

一、航空券をめぐるトラブル           

1、ブラジルで                                                                    

    最近でもオーバーブッキングの話題がマスコミに出ますが、1980年代や
   1990年代もよく耳にしました。ブラジルのリオデジャネイロの空港で自分自身
   も経験することになりました。
    1989年冬、ブラジルのリオデジャネイロからマイアミ経由でロサンゼル
   スまでパンナム航空で、ロサンゼルスから東京までマレーシア航空で帰
   国しようとした時のことです。
    リオの空港へ出発時刻の2時間前に到着してチェックインをしようとした
   ら座席がもう無いと言われました。最近でもユナイテッド航空で問題にな
   った座席数を超える航空券を売ってしまった時に起こるオーバーブッキ
   ングです。
      『リコンファームをしてリオ市内のあなた達の会社のオフィスの
       職員のサインまで貰っているのに、座席がないというのは不
       合理でしょう?職員の指示通りに出発2時間前に到着して、
       チェックインカウンターでチェックインしているじゃないですか!』
    パンナム航空の空港カウンター職員が上司か会社と相談して、
      『この便の後に、リオ発マイアミ経由ロサンゼルス行きではなく、
       リオ発ニューヨーク行きがあるので乗ってくれませんか?そして
       ニューヨークでロサンゼルス行きに乗り換えてくれませんか?』
      『ニューヨークへ行ったら大廻りじゃないですか!しかもロサンゼ
       ルス到着がマレーシア航空の出発時刻の1時間前なので、乗り
       換えはほぼ不可能でしょう?』
    パンナム航空の職員は、マレーシア航空に乗れ継げなかった場合は
   パンナム航空のロサンゼルス発東京便に乗せてくれると確約してくれ
   た上に、東京からアメリカ国内3都市自由滞在【3都市間フライト無料】
   アルゼンチンの首都ブエノスアイレスかまたはチリの首都サンチアゴ
   まで往復航空券の引換バウチャーをくれました。お陰で翌年無料で日
   本から南米迄往復できました。そのブラジル男性のパンナム職員は、
   紳士で感じの良い人でした。日米を含めてパンナムの職員の方達は
   お客に対する対応が素晴らしかったと記憶しています。
    その後パンナムは倒産しました。私は少し責任を感じています。
    そしてそれからマレーシア航空の出発時刻の1時間前にニューヨーク
   経由でロサンゼルスに到着しましたが、マレーシア航空のフライトが部
   品交換の遅れで翌朝まで出発時刻が遅れて、ホテルホリディインの宿
   泊料と食事代を出してくれました。
    これは、航空券上のトラブルなのか私には今でもよくわかりません。
    

 2、インドで

    1990年代の話です。
   某航空会社のラックナウ発カルカッタ【今のコルカタ】行きに搭乗しました。
  10時頃発だったと思いますが、一向に離陸する気配がありません。
   12時頃に機内放送でロシア人団体が来るのを待つので出発できないと連
      絡がありました。12時過ぎにロシア人達が到着して乗り込んできました。
    午後3時ごろになっても出発する気配がありません。やっと4時頃になって
  燃料を注入し始めました。隣のインド人ビジネスマンが私に『コックピットでの
    クルーの話が聞けた。パイロットが今日の勤務を忘れていたそうだ。今か
    ら代わりのパイロットが空港に来るそうだ。』
  驚きました。しかし日本の航空会社のパイロットが同じような素晴らしいパ 
  フォーマンスを大阪かどこかでしでかしましたね。
    カルカッタで7時ごろ発のバングラディッシュ航空のダッカ行きに乗り換え
  る予定の私は、今から5時頃から離陸して間に合うかどうかクルーに確認し
  たら、
    『大丈夫。間に合う。』
  という返事が返ってきました。
    カルカッタ空港に着陸したら、バングラディッシュ航空のフライトが離陸しよ
  うとしていました。
    カルカッタ空港の航空会社のオフィスで喧嘩になりました。
    私の言い分は、『過失で遅れたのだから、乗り遅れたカルカッタからダッカ
  までのフライトと同じルートのフライトを2時間後に持っているのだから、その
  フライトに乗せてほしい』
    その航空会社の空港責任者は、『故意で遅れたのではないから、責任は
  ない。わが社のフライトに乗りたければ、料金を払って乗れ。』
    水掛け論で、そのフライトに乗り遅れるとダッカからタイのバンコク行きの
  フライトに乗り遅れてしまうので、飛行機代を払ってダッカまで飛びました。 
    
 

 二、航空券に対する出費を抑制するために私が採った方法

   ユースホステル等昔と違い最近は高くなりましたが、航空券は大変
  安くなりました。
   1980年代に海外旅行した時は、南米のブエノスアイレス迄の航空券
  だけで40万円以払った記憶がありますし、ヨーロッパへ行く場合でも、
  例えばチューリヒ往復だと30万円以上ものお金を私は払ました。
    1980年代後半になると、タイのバンコクで航空券が安く買えるというこ
  とが耳に入ってくるようになりました。1990年代には、バンコクを中心にし
  た航空券を買って世界中を旅する方法に変えました。
    バンコクでは当時いろいろな航空券が売られていました。日本で見つ
  けるのがむつかしかった1年オープンの航空券が買えるだけでなく片道
  航空券も往復の半額に近い値段で買えました。日本では、日本国内で航
  空券を買わせるために往復航空券と片道航空券の値段が大して変わら
  ないようになっていました
    更に信じられないことに、当時のバンコクでは、格安航空券の値段の
  2倍出せばファーストクラスに、1,5倍出せばビジネスクラスに乗れました。
  エジプト航空等航空会社は限られていましたが。
    Tシャツに半ズボン姿でタオルを首に巻いている私は、ビジネスクラスや
      ファーストでは完全に浮いた存在でした。スーツ姿の社長のような風体の年
  配の方が、『ファーストクラスとエコノミークラスの席を間違えているのじゃな
  いか?』というという目で私を見ていました。
 
   航空券の上では、帰りをオープンにして日本には一時滞在という形にしてい
      ま した。   
      
      👉最近では、安い航空券が買えるので、マレーシアのペナンに行くという旅
     行者と会うようになりました。以前でも、ペナン島では航空券が、行先にもよ
   りますが、安く買うことができました
 

三、飛行機の乗って怖かった体験

飛行機の着陸方法は2つあるそうです。
   急降下して行く方法と徐々に高度を下げて行く方法ですが、今はもうコンピ
   ューター化されていると思います。
   急降下する方が簡単と聞きました。
    
    ①オーストラリア
     パースの空港にブリスベーンから降りる時、私自身が悲鳴を上げた経験
    があります。他の乗客も私の様子に影響を受けていました。

    ②アフリカでも何回か急降下を経験しています。着陸する時、乗客が讃美
     歌みたいな歌を歌うので、『着陸成功が幸運なのかな』と考えてしまい、
     更に恐怖の第2波がやって来ました。

    ③ルーマニアのブカレストからフランスのパリのシャルル・ドゴール国際空
     に向かう時、乗っていた飛行機が突然下降【失速?】したので、私を含め
             て乗客が悲鳴を上げたことがありました。一瞬、怖かったです。
  
    ④コスタリカで小型プロペラ飛行機で凄い体格の女性と一緒に乗った経験
     は、コスタリカ編で記述しています。

 

👉👉👉👉👉👉👉👉👉続く   To be continued👉👉👉👉👉👉👉👉👉

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
      

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